人が美しいと感じるには理由がある。
先日、いけばなの家元からそのイロハを教わった。
私のイメージを覆したのは最初の一言でした。
「いけばなはセンスではない。計算された美なのです」
定規を当てて測ることもあるそうです。
単純な対比は誤解を生むこともあるのですが、
ものの本質を理解するためには有効です。
日本の「いけばな」と欧米の「フラワーアレンジメント」の違いの話が、
いけばなの本質をよく表していました。
いけばなは「引き算」で余分な枝葉を切っていく。
その事によって「一輪の花に目を行き届かせる」ものだそうです。
「蕾がちにいけよ」という言葉があるようですが、
そこには「花の命のうつろいを楽しみ、そこから命のありがたみを感じて欲しい」
という願いがあります。
一方で、フラワーアレンジメントは花を敷き詰める「足し算」で
完成した状態を作るのだということです。
そういうことを知って、花を眺めなおすと
また違った景色に見えるので面白いですね。
詳しくはこちらが勉強になります。
http://www.kadou.net/learn/index.html
家元の著書も読んでみたのですが、
その本の良いところは、「比べていないこと」です。
フラワーアレンジメントと比較しているようで並べているだけ。
どの流派が良いか、何が優れていて何が優れていないか
などという評論ではないということです。
「この流派はこういう特徴がある」
「この花にはこういう意味がある」
という事実や通説が解説されています。
もし、「いけばな」の方が良いなと感じたとしたら、
それは受け手の心が比べているに過ぎないのです。
そう感じることは悪いことではありませんが、
そう感じることによって、本質が見えなくなったり、
フラワーアレンジメントの良さが分からなくなれば勿体無いかもしれません。
自分の「いけばな」を極めようと、
絶対価値の中で生きているのだな、と良い刺激を受けた次第です。
話を元に戻し、改めて「引き算」の重要性を見直してみましょう。
足し算だけになっている人は、思い切って捨ててみることです。
「引き算」は古来より日本にあるお家芸でもあるのです。
漢字を省略した「ひらがなやカタカナ」によって、識字率は大いに高まりました。
「俳句」のように極限まで言葉を省略した詩は、他の国では見かけません。
「坐禅」のように自分を忘れる修行もありますよね。
余分なものを省略することによって、見えてくるものがあるということです。
デザイン
プレゼンテーション
会議
役職
・・・・
見直すべきことは沢山ありそうですね。