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自分を忘れる

先週私が受けた質問を紹介してみる。
あなたの今年を表す漢字は何ですか?
さて、どのような答えを考えたでしょうか?

この問いを受けた瞬間に私の頭に一つの漢字が浮かんだ。
」という漢字である。
なぜ、この漢字なのか、その瞬間に理由はない。

理由を後付けで考えてみると、
「自分の事業の価値を信じる」とか、
「クライアントの可能性や成功を信じる」とか、
「自分自身を信じる」
なんてことを考えていたから思い浮かんだんだろうと思う。

後から「他にどのような漢字が考えられるだろうか?」
と思いを巡らすと違う文字を発見するかもしれないが、
理屈抜きに頭に思い浮かんだ漢字が大事なのだと思う。

そう思うのには理由がある。

大学時代のアメフトの話であるが、
アメフトには、フォーメーションとかプレーの種類とか結構なバリエーションがある。
11人対11人でプレーが行われるが、11人が同時並行で1対1の勝負をするスポーツなので、
自分の役割をしっかり認識して、持ち場を守ることが重要になる。
私は主に守備の選手であったが、攻撃側のプレーによって守る場所が変わる。
さて、ここで問題が生じる。

どこを守れば良いか100%の確証を得ようとするとプレーが遅くなる。
早く判断をしようとすると、判断ミスのリスクが高まる。
コテコテの理系頭であった私はよく監督に怒られた。

「お前、人間の頭で考えることなんて大したことないんやぞ。
 左脳でぐるぐるぐるぐる答えのない問題を考えても屁の役にもたたんぞ。
 右脳を使え」というようなニュアンスの話である。
要は、頭を使いすぎるのである。

「バイクを乗るときに、バイクを傾ける角度が何度で
 ハンドルを何度回してとか考えるか?
 そんなもん感覚でやっとるやろうが、
 人間の感覚のほうがよっぽど優れとるんやぞ」
なんて、非常にわかりやすい例え話をして頂いたりしたのだが、

「右脳で考えるのはどういうことだろう?」
なんて、左脳で答えを出そうとしてしまう。
習慣とは実に恐ろしいものである。

リーグ戦の最終戦の直前の練習までダメだった。
試合の日の朝に「お前今日は行けるんか?」
「行くしかないやろ。見とけ」
なんて会話をした記憶がある。正直、全く自信はなかった。

負けたらシーズンが終わりという試合の直前で何かスイッチが入ったのかもしれない。
「好きなようにやろう、それであかんかっても しゃあないやん」と吹っ切れたのか、
「なんでそう動いたのか?」と言われても覚えていないプレーが混じってくる。
感じたものに反応しているだけで、理屈は後付けという状態である。
それまでよりはちょっとマシなプレーができた。

 

そんな素晴らしい状態も再現することは難しい。
すぐに雑念妄念に囚われて、元に戻ってしまう。
しかしながら、自分の大事にしていることに対して必死に頑張れば、
自分の体(脳みそ)が答えを出してくれる
という原体験は何物にも代えがたい財産となっている。

この状態を再現させることができたら最強である。
再現させるためにどのような条件をそろえればよいのか?
ミハイ・チクセントミハイという心理学者が提唱している考えが近い。
自分を忘れて、目の前の事に集中できている状態」をフロー理論と言って、
その状態に至るための条件を示していたりする。

難しい理論は知る必要はないが、
「考えること」と「考えないこと」の両方が必要なことは知っておくと良い。
基本的に理屈はブレーキの役割を果たすので考えてばかりだと行動が遅くなる。

アメフトの話に戻ると、相手に二人分の役割を果たせる凄い選手が混じっていると、
全員で真面目に自分の役割だけを果たしていても勝てない。
時には、自分の役割範囲を広げて、周りの選手を助けられるかが勝負を分ける。

これは、組織の中でも同じことが言える。
「それは自分の役割ではない」と理屈を考えているうちに、
チームとして負けていたりする。
何が目的で、その目的を果たすために何が大事か
そんなことを常日頃考えていれば、体が勝手に反応するはずなのである。

そうならないのは、
「人からどう見られるか?」
「損か得か?」
「上手くいかなかったらどうしよう」
などの雑念に日頃から囚われているからにすぎない。

そんなことを考えさせる問いでした。
「あなたの今年を表す漢字は何ですか?」

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