「わかる」を「できる」に変える 実践経営パートナー

何かを継承をする際に最初に考えるべき事

人間の根源的な欲求には、子孫繁栄を願う気持ちがあります。
そこには理由はなく、子孫の生存能力を高めるために
「養育」し、「教育」を与え、その幸せを願っています。
人類が狩猟生活を送っていた時代であれば、
狩りや漁を教えたり、食物の保存方法を伝授するのが教育でした。
部族生活をしていれば、近隣の部族との交渉や戦闘の仕方なども
「教育」の対象になったでしょう。

同じように、企業社会でも、後輩ができれば
「教えてあげたい」という利他の気持ちが生じます。
困っていれば、「助けてあげたい」し、
甘えていれば、「気づかせてあげたい」のが人情です。

一方で、教育を受ける側は、
受けている時にはその価値には気がついていない」ということが多々あります。
当然です。気がついていないことや知らないことを「分かる」ように、
できなかったことを「できる」ようにするのが教育なのですから、
できるようになるまではその価値に気がつけないのです。

場合によっては、
「なんであの上司は訳の分からないことを言うのだ?」
「あの人の言うことは聞いていられない」
という反発に繋がることもあります。

では、伝える側はどうすればよいのでしょうか?

 ■反抗期

話を少し簡単なところに戻しましょう。
企業の中で最も素直に「教え」を吸収できるのは新人です。
その分野に関して先輩の方が先を生きているということを認識していますので、
「先輩は自分の知らないことを知っている」
「先輩は自分よりも仕事を生産的にこなすことができる」
という構えで向き合うことができます。
そのように謙虚な心で教えを受けとることができれば、
学びは深く、成長は早くなります。
すなわち、教わる側にその『構え』をとらせることが、
伝える側が心がける第一歩なのです。

しかしながら、人は簡単に驕ってしまう生き物です。
実績を上げ、周りより成績が良くなると
「自分は素晴らしい人間だ」と思えるようになっています。
実績を上げなくとも、知識が増え、経験を重ね、
世の中の仕組みが少し分かってくるだけで、
自分の位が高くなったような気がしてきます。
多くの人が中学生あたりで反抗期を迎えますが、似たような現象なのだと思います。

多くのビジネスパーソンは、社会人になってから、
この傲慢になる時期を迎えます。
断っておきますが、自負を持つことや、
健全な批判精神は成長には欠かせないことで、
必ずしも悪いことではありません。
ですが、それによって「周りの声が耳に入らなくなる」
「自分のやり方に固執してしまう」という落とし穴があるという事です。

このような反抗期に入ったビジネスパーソンに
「教え」を提供するのは少し骨が折れます。
反抗期を迎えた中学生に、
「お前はまだまだ分かってないから、謙虚に話を聴け」
と言ったところで、結果が好転するとは思えないのと同じで、
理屈をいくら話しても効果はありません。
特に、愛情を注がれていないと感じ、
グレてしまった社員に対しては、逆効果になることさえあります。
『教わる構え』を取り戻させるところからのスタートです

では、伝える側はどうすればよいのでしょうか?

■構えのあり方
ここまでの理路は、多くの人にとっては自明のことです。
教わろうとしてない人に教える時は、教わりたいと思わせることが第一歩です
ということをくどくど説明してきたにすぎません。
そして、それを知っているだけでは全く価値がありません。
皆知っていることですので、「そうだよね」でお仕舞いです。

しかしながら、多くの人は、「じゃあどうすればいのか?」
ということに関して解決策を決め、実践し、
成功するまで改良を続けるという事をしていません。

そして、都合の悪いことに
「反抗期が終わるまで待てばよいのだ」
「人は簡単に育つものじゃない」
「繰り返し言い続けるしかない」
と自分を納得させるための言葉は、多くの先人が口にしています。

過去には、「時間をおいて」「繰り返して言い続けて」
結果オーライになった事例もあるでしょう。
しかし、そのように思考停止に陥っては、
成長し続ける一流の企業にはなれません。
他の企業を凌駕し、一流の企業になるためには、
人間の性に反する営みを活動に織り込むことが肝要です。

「じゃあどうすればよいのか?」ということについて、
既に解決策を思いついた方もいると思いますが、
そうでない方もおられると思います。
思いつかなかった方は、
身の回りの事例に当てはめて考えると考えられるでしょうか?
これの答えは、その状況によって変わる「個別解」になります

 どうすればよいかという「HOW」は様々だということですが、
教わる「構え」に関しては、こういう状態であって欲しいという事を示せます。

一見良さそうで、実は困った『構え』があります。
「じゃあどうすれば良いか正解を教えてよ」
という『正解を求める構え』です。

『正解を求める構え』をとっている人は、
現実の状況に適した答えを見つけることができなく
(見つけられる確率が低く)なります。
「このようにしたら上手くいった」という過去の事例や教訓を
お伝えすることはいくらでもできますが、
それを盲目的に実践されると都合が悪くなります。
ヒントとして活用して頂く分には全く問題がありませんし、
是非そうして頂きたいのですが、『正解を求める構え』の方は、
表面的な手法だけを適用されて効果を出せないことが多いのです。

もう少し分かり易くいうと、「正解を求める構え」の方は、「答え」を求めます。
そうではなくて、「教わる構え」の人は、「解き方(考え方)」を求めます。

学校の宿題の「答え」を教えてもらって点数を稼いでいる人は、
自分の力で受験を乗り越えられないのと同じように、
『正解を求める構え』の方は「答え」を知って満足し、それ以上の思考をしません。
その場は乗り越えられるし、楽なのですが、成功からは遠ざかります。

問題を解けるようになりたいのはなぜか?人によって変わります。
「良い大学に行きたい」という理由で頑張れる人もいれば、
「とても苦労をして学費を稼いでくれている両親の期待に応えたい」から頑張る人、
「幸せな人生にするために学力を高めたい」から頑張れる人もいます。

『教わる構え』がとれていない人は、この目的を見失っているのかもしれません。

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