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よく味わえよ

歴史小説は後世の人間の解釈に過ぎない。
実際に歴史上の人物がどのような言動をしたか肌で感じることはできない。
いわんや、何を考えていたかなどということは全くの架空の話である。
しかし、偉人の言動を想像してみること、
なぜそのような事を成せたのかを想像してみること、
そして、これはと思い至ったことを自分の中に取り入れることは大いに有用だ。

私の好きな歴史小説家に山岡荘八さんがいる。
戦後の閉塞感のある社会に希望を持たせたいという思いから
「徳川家康」の長編小説を書かれた。
コンサルタントとして駆け出しの時に
当時のマネジャーから勧められたのがこの小説だ。
現場の事情が分かれば分かるほど目線が下がってしまう時に、
この家康の視座に触れると「目線が上がる」という効果があったのが懐かしい。

今回は、その山岡荘八さんの書かれた「織田信長」の中のエピソードを紹介したい。
信長と家康は幼少のころに尾張で出会っています。
信長は家康より8歳年上で、互いの器量を認め合っていました。
その後、家康が今川家の人質に取られ、桶狭間の戦いを経て、
12年ぶりに清州城で再会するシーンがあります。

その時の信長は、今川家と武田家を押さえて、美濃を攻略する必要があり、
家康と同盟を組むことを検討していたのでした。
しかし、家康は12年間今川家の人質として過ごした事によって変わったかもしれない。
また、妻子を今川家に残してきており、信長につくと斬られる可能性が高いという状況。
そこで信長は、会って家康の器量を図り、味方にすべきかどうかを試すことになります。

その時の問答がこれです。

信長「元康(家康)、辛かったであろう。察するぞ」
家康「乱世ならばやむないこと。氏真が怒りは十分に覚悟してきました」

家康は「辛さ」の意味を、『今川家との交わりを断って信長と同盟をすると、
今川氏真に対する義理を欠き、怒らせてしまうこと』と受け取ったのでした。
12年間の人質生活の辛さとか、今川家に妻子を殺されるかもしれぬことは噯にも出さず、
信長の志をよく理解して余すところがなかったということです。

時折、かなりオープンな質問をしてみると、
相手の普段考えていることが現れます。
逆に「目線の高さ」を普段から維持していないと、
一つの問答で見切られてしまうということもあるかと思います。

もう一つ、この小説で好きなシーンとしては、
信長が配下の武将に問いを投げかけるところがあります。
「よいか、よく味わえよ」と言ってから、訓話をするのです。
その言葉が、武将の頭の中で咀嚼され、その意味に行き当たる、という場面です。
人を動かす時の理想形だと思います。

提案されたものよりも、自分で見つけたものは大事にする
とうことは頭で理解している人はたくさんいますが、
これを実践して成功している人というのは非常に少ない。
相手の力量を知り、相手が受け入れる土壌を作る。
土壌ができたとしても、提示の仕方が悪いとネガティブな反応を引き出してしまう。
なかなか奥の深いスキルだと思います。

信長の投げかけの場合、その意味を解釈できないと
「死」に至る場合があるので、必死に考えるわけですが、
この事例から学べることがあるとすると、
そこに意味があることよりも、そこに意味があると思ってもらえるかどうかが大事
だと思います。

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