作られた常識

先週末は節分の豆まきでした。
恵方巻きを食べる習慣なぞ、自分の子供の頃にはなかったのですが、
スーパーに行ってみると、恵方巻きの大きなコーナーがあって驚きでした。
しかし、何故こんなに流行っているのでしょうか?

Wikipediaによると、『かつて行われ廃れていた事柄であったが、大阪の大阪鮓商組合や大阪海苔問屋協同組合が販売促進の為に(スーパーやコンビニでも)大々的な宣伝をしており、ミツカンの調査による恵方巻の認知度は、全国平均は2002年時点の53%が2006年には92.5%となり、今では3000万本/年売れている』とか。

 

発祥も不明確で、戦後に「販促策として考えられた」というのが
現在、最も信憑性のある起源とされている。
実際、恵方を向いて手巻きずしを食べることで願い事が叶うわけがない。
「ちくわ組合」が先にこの販促を開始していたら、皆ちくわを食べていたのだろうか?

 ちくわ組合としても「大きなちくわ」を売りたいはずなので、
「ちくわの中に七福神に因んだ7品を入れなければいけない」
というような説を考えだすのであろうか?
 そんな事を考えだすと、節分の「豆まき」自体が怪しくなってくる。
最初は豆屋の販促キャンペーンだったのではないのか?

そうなると、なぜ豆屋の企みが、1000年以上も続いているのか興味がわく。
子供に鬼退治をさせるという構図が非常に家庭で扱いやすいからか?
そもそも「年齢の数だけ豆を食べる」という設定にしたのは何故か?
昔のように寿命が短ければ、「死ぬまでの残り年数」という設定にした方が、
期待値込みで豆の消費量は増えたのではないか?
いやいや、その頃は年長者を敬う社会だったので、
 年長者より多くを食べるシステムでは流行らないと見越したのであろうか?
妄想は止まらないが、今回の主題はこれではない。

マネジメント」という言葉の定義を見直しませんか?
というのが、今回書きたかった事でした。
現在では、「マネジメント」と言えば、「仕組み」を構築することや
誰もが同じような仕事をできるように「標準化」することをイメージする人が多い。

それは、過去に「マネジメント」を売り物にしてきた人の責任であったりするのです。
テイラーが科学的管理法を開発し、20世紀に主役であった「マネジメント」も
「新たな価値を生み出すこと」の重要性が高まった21世紀では売れなくなり、
「イノベーション」という言葉が多く使われるようになった。

そういう過去の歴史から生じている「常識」は変えられませんが、
人を組織し、組織で物事を成し遂げること」を見直す必要性は高まっています。

世の中は「無常」です。
自分自身も周りの環境も「常が無い=変化している」ということです。
その中で価値ある存在としてあり続けるためには、
新たな知見を行動を通じて具現化し続けること」が必要です。
この当たり前の事をチームで実現することがマネジメントの役割なのです。

そのために必要なことは、「標準化」である場合もあれば、
「約束をなくすこと」や「個性にフォーカスを当てること」であったりします。
それを邪魔するのが、「人と同じでいたい」という欲求と同時に
「人と違っていたい」という欲求を持つ人間の複雑さにあります。

今の常識に囚われず、原理原則に立ち返り「マネジメント」を進化させていきましょう。

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